芝生枯れる
芝生が所々枯れてきた。何故か?肥料をやったせいである。それも手撒きだったので、部分的に多かったせいである。何事も程々が肝心である。で、思った。これは現代の生き方、子育てにも言えるのではないか。うちは子供がいないので大きなことは言えないけど、あえていってしまうけど、今の子供は満たされすぎている。ぼくたちの頃は満たされていなかった。欲しいものは我慢したし、一生懸命お金を貯めて買ったこともある。。昔、小学生の頃、超合金というのがはやって、当時、月500円のお金を数ヶ月貯めて買ったら、ブームは終わっていたことがあった。親父が悲しいかな阪神ファンで、阪神が勝たなければ親にはお願いができなかった。それほど満たされていなかった。今はその反動か、今では欲しいものは熟慮の上買っている。TVは生まれた頃は無かったし、その後は白黒だったし、当然一家に一台しかなかった。家族はそこに集まった。夢中になるほどTVは見なかったし、外には楽しいことが山ほどあった。年齢を越えて遊んだ。当然ゲームもなかった。初めてゲームを見たのは中学生の頃だ。ゲームセンターや喫茶店ではインベーダーゲームがはやった。今では考えられない2Dのゲームだ。友人宅で2Dのゲーム、名前は忘れた、をやったけど、おもしろくはなかった。たぶん、下手だったせいもかなりある。やはり外で遊ぶことを選んだ。高校、大学生の頃はレコードが買えずエアチェック(死語?)をした。ナレーションと曲の間の間の取り方を学んだ。買った数少ないレコードは死ぬほど聴いた。レコードの掃除には人一倍気を使った。いろいろなオーディオテープを買って聴き比べて、好みのあうやつを買った。それほど音は違った。ちょうどぼくたちの世代は満たされて行く過程にあった。その前はそれどころではなかったはずだ。便利さを求めた。自分たちの親は生活の為に共働きであって、子供に手をかけられなかった。中学生の頃は悪さをすると殴る先生が人気があった。そういう先生は高校進学が難しい生徒のために尽力した。また、電話はなく、当時の借家の大家さんに電話を取り次いでもらったのを覚えている。因みに今時の子は当然ながら、ダイヤル式の電話を見ると困惑するらしい。洗濯機、冷蔵庫はすでにあり、カラーTVが始まった頃である。ぼくたちの世代はそれはあった。時代はやがてアナログからデジタルになり、音の差は無くなり、レコード屋さんに行かなくても曲は買えるようになり、エアチェックは死語になり、ビデオもHDDやDVD内蔵になり、画面も信じられないくらい大きく薄くなり、モノラルから、ステレオ、アナログからデジタルに、ドルビー5.1chサラウンドになり、名刺サイズに数百曲も収まるようになった。すべてが便利になった。でも、考えてみると世の中はすさんできて、殺人は増え、近所づきあいも無くなり、みんなが無関心になり、みんなが携帯をもつようになった。こういう時代を作り上げたのは、あるいは望んだのは我々である。今更何を言っても仕方がないけど、少しだけ便利な世界、デジタルな世界から離れてみたいと思う最近である。できるだけ表にでて、アナログのカメラで生きたものの写真を撮り、自分の足でナショナルパークを歩き、紙の新聞を読み、そういう生活を熱望するようになった。芝生枯れるからずいぶんと話はそれたけど、この間、よかれと思って芝生にあげた肥料を見て思った。足りないくらいがちょうどいい。多少水が少なくったって、肥料が少なくったって、きっと根は伸び、立派な芝ができる。飽食の時代にハングリーになれと言うにはやはり不可能か。